写真集 「汽罐車」よみがえる鉄路の記憶 1963-72

Cover01

企画・編集:鉄道写真集刊行委員会  

発行:新宿書房

ブックデザイン:鈴木一誌・杉山さゆり

ISBN978-4-88008-413-8 C0072

2011年3月3日発行 税込み 3,990

 

B4変形版 256x256x21mm 写真144頁 本文20頁

ダブルトーン印刷 ハードカバー 糸かがり上製本

桜の鹿児島、流氷の網走... 1963-72年(昭和38-47)年

四季折々、全国に蒸気機関車を追いかけた青春の残照記録

今よみがえる「昭和の原風景」

ブックデザイン・鈴木一誌 「紙の書籍」に「蒸気機関車とその時代」の

眩い魅力が濃厚に詰まった珠玉の写真集

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http://www.amazon.co.jp/汽罐車―よみがえる鉄路の記憶1963‐72-大木茂写真集-大木-茂/

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どうぞよろしくお願いいたします。

写真集 制作物語

2万7千カット

高校一年の冬から大学卒業まで、足かけ10年間の学生時代(1963〜72年)に撮影した蒸気機関車の写真ネガが

35mm版、635本、6x6版、357本、手元に残っていた。カット数にすると約2万7千カット。

当時は撮影に忙しく、フィルム現像はしたけれどもプリントをしたこともないカットが多数有った。

その後仕事をするようになると、それはそれで忙しくなり、ほとんど手つかずのままで本棚の隅に積み上げられていた。

何とかしておかないと...... という思いは常にあったのだが、具体的にはなかなか動かない。

「Jトレイン」

2001年春、イカロス出版から鉄道新雑誌「Jトレイン」が発刊されることになり、友人の結解学さんの紹介で編集部の

久保真人さん、坂本達也さんにお会いした。有り難いことに連載を打診され、思いついたのがデッドストックになっている

蒸機ネガの活用だった。

季刊誌なので3ヶ月に一度、プリントを作り、文章を書き、ラフレイアウトを付けて編集部に提出することになった。

どういう切り口にしたらばよいのか迷ったが、ここは素直に撮影した線区別で行こうと決めた。

昔のネガをプリント、後半はデジタルスキャニングだったが、するのはとても楽しかった。

忙しい仕事の合間を見つけて、当時を追体験しているような気分になり、至福の時間を過ごすことができた。

途中から増ページしてもらい、担当も山本和彦さんに変わったが、幸いなことに約4年間、番外も含めて15回の連載を

させていただいた。

連載の後半あたりから、これは何とか一冊の本にまとめられないものかと欲が出てきたのだが、優柔不断、いや、だらしない

僕はここでも具体化することができなかった。

幸運なきっかけ

2010年4月、「横浜人形の家博物館」で、どういう訳か?「鉄道展」をやることになり、企画を担当していた僕の小学校の時の同級生

榛澤吉輝さんから写真展をやらないかというお誘いを受ける。

デッドストックネガから30点選び出してA3ノビサイズにプリントして展示。これを見に来てくれた大学時代の鉄道仲間の

堀越庸夫さん、榊原茂典さんが、「もったいないから写真集にまとめたらば」と提案してくれた。

堀越さんの友人の編集者、星川浩さんを紹介され、星川さんのつてのある出版社がいくつか有った中でなんと「新宿書房」の名前が

出てきて、なんだ村山恒夫さんのところじゃないか。以前「二宮金次郎本」を出してもらったことがあり、村山さんとは旧知の仲だったのだ。

そうなると話は早く、村山さんも「大木の本じゃ断るわけにはいかない」ということで、ようやく写真集出版に向けて具体的に動きだした。

第一回目の編集会議

10年の夏の暑い時期に、新宿の寿司屋で第一回目の編集会議がもたれた。

企業勤めが長かった堀越、榊原両氏は「企画進行」作業には慣れているのだろう、てきぱきと「やらねばならぬ事」を決めていく。

星川、村山両氏も具体的な編集作業工程を立て始める。

僕は、といえば、どちらかと言うと「明日できることは今日やるな」主義なものだから事の急展開にオタオタするばかりだ。

ちょうど、長くて重い編成の列車を牽かねばならない僕は、8620型機関車(大正時代の"名機"なれども今では非力なロートル)。

その重い編成の後ろに、D52型(国鉄最大級の貨物用機関車)の後押し補機が4両も連結されたようなものだ。

こちらはまだ信号確認もしていないのに、ぐいぐいと後ろから煽られて、気がつくともうすでにかなりのスピードが出ていた。

ネガをスキャン

まずは、1400カットほどを選び出して、スキャニングを始めた。スキャナーは「Minolta Dimage Scan Multi Pro」を使用した。

ブローニー版までのサイズがスキャンできるフィルムスキャナーで、10年ぐらい前に導入し、30万円弱だった。

現在では適当なフィルムスキャナーが無くなってしまい、貴重品でもある。作動させるドライバーが更新されない、と言うよりは

もう見捨てられているので、古い機材(僕はMacユーザーなので)Power Mac G5に古いOS、10.5 Tigerを入れて作業している。

「Pro」と名前がついているがもちろん民生用機。何千万円もする業務用のドラムスキャナーとは比べものにはならないが、

比較的ダイナミックレンジが狭いモノクロネガ、そして解像度もA4見開きのA3サイズまでならば製版原稿にも使えると判断した。

16bitで取り込み、ゴミ取り、傷の修正をして、トーンカーブをいじって明度、調子を整えて思うような画像データを作ることにした。

"明るい暗室"での作業は根気が必要だが、何度でもやり直しが利き、納得のいくまで突き詰められるのは素晴らしい。

それに、ランニングコストがほとんど掛からないのはデジタルデータのよいところ、有り難いことだ。

当時は露出計も使わず、勘でシャッター速度、絞りを決めていたものだから(いくら何でもそれではマズイと気が付いて、

後に露出計は買ったが... )露出不足や、オーバーでプリントできないようなネガがたくさん残っている。

しかし、スキャニングする過程でレンジを正しく取り、デジタルデータを細かく調整することでかなりの数を救うことができた。

諦めていたネガを救い、蘇らせることができたのは嬉しかった。

キャリブレーションを取ったモニタで作業し、細かい調整をして納得できるデータを作成した。最終的には製版の専門家に

微調整をしてもらうために、「16bit の Tiffファイル」で、ターゲットとなるプリントを添付して入稿した。

この目安とするターゲットプリントを付けることは、デジタルデータをやり取りする上でとても大切なポイントだと思っている。

これは銀塩のポジにも言えることなのだが、鑑賞するデバイス、ポジの場合はビュワーの明るさ、色の質などによって

見え方が変わってしまい、デジタルデータはもっと曖昧なもだから、印刷物と同じ反射原稿を付けることが必要だ、と考えている。

鈴木一誌さんにデザインをお願いする

さて、僕がせっせとスキャニング、画像データを制作している間でも、月二ぐらいのペースで編集会議が行われた。

5人が集まりやすいということで、高田馬場の飲み屋の小さな個室を使うことが多かった。会議費(飲み代)は各自が払い、

皆ボランティアで集まってくれたので編集費用はほとんど計上しないですむことになる。

デザインは旧くからの友人鈴木一誌さんにお願いする。判型は、最初はA4正寸サイズを考えていたのだが、縦横画面配置の

自由度の高さからB4変形の正方形とすることにした。これは、正方形の6x6版をほぼノートリミングで使うことも多くなり、

結果的には成功だったと思っている。スキャナーの解像度に限界が有り高精細の印刷は無理なので準高精細、ダブルトーン印刷。

用紙も上質なものを選び、見開きにしたときにノドの部分が完全に開けるように糸かがり製本と、このあたりは妥協せずに

できる限り上質なものを追求した。

武士の商売

印刷会社も決まり、原価を積み上げて経費を算出してみた。

製版代、編集費用がほとんどかからず、破格のデザイン料にも助けられて、主なる経費は用紙代、印刷代だけだ... と思っていた。

ご存じと思うが、印刷部数と経費の関係は単純には正比例しない。部数が多くなっても増える経費は用紙代だけが主なので、

例え部数が3倍になっても、通常ならば経費は2倍にもならないものだ。

ということで、何部作るかが悩みどころとなった。そのくらいの上乗せならば部数をもう少し多く...... とついつい欲が出てしまう。

できるだけ安く、しかもたくさん...... いや、これはこちらの品性をさらけ出すようなものかもしれない。

結局、3000部制作することにした。写真集は1000部未満が普通なのに... との声もあったのだが、思い切ってやってみることにした。

何よりも、単価を下げたかったからだ。「豪華写真集」を作る気は毛頭無く、できるだけ多くの方々に見てもらいたい。

でも品質は妥協せず、良いものを作りたい、と贅沢な要求だ。多く刷る事で一冊あたりの値段が下げられる、しかし売り切らねばならない。

40年前に刊行した「北辺の機関車たち」は初版3000部、改訂増刷が2000部だった。でもあの時は「SLブーム」の時代、それにキネ旬は

「蒸気機関車」誌で毎号のように宣伝してくれていたし、今とは直接比較することはできないだろう。

悩んだ末に、絶妙なバランスを考えて?の3000部、ちょっと強気の部数設定だ。

価格も最終的に、¥3800円+税とした。当初は3000円ぐらいでできないものかと考えたのだが、判型も大きくなり、ページ数も増えて

増額せざるを得なかった。それでも、必要経費を計算して採算ラインを考えて出した数字だったが、悲しいかな"商売"には慣れていない

メンバーだったので、その後出てくるいくつもの必要経費の見落としをしていたのだ。まぁ、「武士の商売」というやつだったわけだ。

発刊した後に、「採算度外視の価格」と言われたのだが、決してそういうつもりはなく、単に不慣れなことをやってしまった結果だった。

直販ルート

利益率を上げるために、通常の「本屋さんルート」とは別に直接販売も設定することにした。ネットを中心に宣伝して、我々の手で

集金発送して経費を抑えて収入を確保しようという試みだ。堀越、榊原両氏のご尽力でサイト「大木茂鉄道写真館」を立ち上げてもらう。

写真集の内容を徐々に告知しながら、発刊時に買っていただけるように宣伝周知を図ることにした。幸い、広島のアンギュロンさんをはじめ、

何人かの方々の協力もいただけて、多くの方々にお知らせすることができた。

 

 

こちらも取りあえず前半、後編に続きます

 

 

 

 

 

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