静かな大きな駅
吉松から25‰の急勾配を喘ぎ喘ぎ上って来て最初に停車するのが真幸駅、スイッチバック構造を持つ山間に広がる大きな駅だ。広い谷の奥まったところに、地形をうまく利用して造ったまるで模型のレイアウトのような構内、外れにある風雪に洗われた風情のある信号転轍扱い所が良い雰囲気を造っている。
列車を降りてホームに足を踏み入れようとして一瞬ためらってしまった。玉砂利のような小石が敷き詰められ、まるで石庭のように刷毛目が入っていて足跡を残すのをはばかったのだ。きちんと形を整えられた植木、簡素だが清潔な建物、みな職員たちが合間時間にこまめに手を入れているたまものだったのだ。
付近には小さな集落があるばかりで行き止まりの道をやって来る車の数も少なかった。正面に霧島の山々を見下ろす眺めの良い美しい静かな駅だった。
三大車窓展望
矢岳越えは日本三大車窓展望の一つと聞き、それはループ線で有名な大畑の辺りのことだろうと勘違いをしていた。実は真幸から矢岳に上って行く時に右手に広がる加久藤の盆地と霧島連山の眺めだと知ったのは現地に行ってからのことだった。
真幸の駅を出ていくつかのトンネルを抜けて右手の展望が開けると足下に京町、加久藤の平地が広がりその向こうには霧島の山々が堂々と聳えていた。狩勝旧線のような大陸を思わせるような大スケールの展望ではなかったが、良く整った日本的な美しい風景だった。
長い矢岳第一トンネルに突入する直前の1kmちょっとの区間がハイライト。伐採された跡の斜面からこの風景をバックに列車が撮れるところを発見した。北から南を見るようになるので条件は悪いが、むしろ朝の逆光のシルエット列車狙い、しかも秋〜冬期が良いのではないか判断した。何度かトライしたが、ようやく納得できたのはある年の12月の撮影行のことだ。
始発の840レは真幸を6時24分発、現場まで小一時間かかるから5時には"定宿"の駅を出る。辺りはまだ真っ暗で上空の星の瞬きが上天気を告げてくれている。南国とは言え夜明け前は寒い、良く晴れ上がり今朝は一段と寒さがきつい。懐中電灯を片手に線路脇を歩きトンネルを抜けて現場には6時前に到着。伐採跡の斜面に足を踏み入れるのだが、普段はマムシが多く気持ちが悪い所、しかし霜が降りる今の季節は冬眠に入っただろうから少しは安心できる。
南東の空がオレンジ色に輝き、足下の盆地は霧に覆われている、霧島の山々は黒く大きく聳え荘厳な夜明けの風景だ。霧の中に煙が動いている、吉都線の列車が東に向かって走っているところだ。
840レがやって来る6時40分ごろはまだ日の出前、白煙がほんのりピンク色に染まり、はかなく美しいが、車体がつぶれてしまい写真にはならない。本日の本命は7時半頃通過の重連貨物回送6860レだ。
太陽が顔を出し眩い朝の光が辺り一面に広がる。寒さに震えていた体には陽の暖かさは何よりもありがたいものだ。
残念ながら足下に広がっていた霧は徐々に薄くなってしまったが、遠くで二つの汽笛が鳴りブラストが聞こえてきた。何度か音が途切れるのはトンネルに入っているからだが、再び聞こえるたびにより大きな音となって近づいてきた。
25‰上り勾配とは言え空荷の身軽さ、ロッドの音を響かせて軽やかに2両のD51は目の前を駆け抜けて行った。小気味の良いブラストが遠ざかり長い汽笛の後、矢岳第一トンネルに入ってしまうと元の静寂が戻ってくる。静かな冬の朝だ。
鉄道の魅力
旧いものには独特の味わいがある。僕は最近、鉄道の魅力とは機械や施設を手間暇かけて長く使っていくうちに生まれた"ぬくもり"のようなものによるものではないかと考えるようになった。ただ旧いというだけでなく、面倒を見た人たちが注いだ愛情と汗がただの機械や建物を心地よいものに変えていく、旧いものが良いのではなく蓄積されたものが掛け替え無いのではないだろうか。本質的にはは使い捨て文化とは対局にあるもののように思っている。
社会全般が変わってしまった今、なかなか魅力ある鉄道風景を見つけるのが難しくなってしまった。昔が全て良かったわけではないが、特にこの肥薩山線と真幸の駅はそういう意味でも鉄道の魅力に満ち溢れたところだったと思う。