常紋信号所が開設されたのは1914(大正3)年10月、それほど古い話ではない。野付牛(現在の北見)からオホーツク海沿岸の湧別を結ぶ官営湧別軽便線の難所常紋トンネルの開通と同時だ。当初は軽便軌道762mmで建設されたが2年後には1067mmに改軌されている。
常紋とは北見国の常呂郡と紋別郡の境にあるので双方の一字ずつをとって付けられた名前だ。 歴史の浅い北海道、地名を見ると面白い法則に気づく。元々この地で暮らしていたアイヌの人々の呼び方を漢字に当てはめた命名(札幌を始め列挙にいとまが無い)。入植した人たちの内地の故郷を採用した例(北広島、新十津川など)。この二つの例はアメリカ、オーストラリア等の北海道とよく似た生い立ちの植民国家にも同じようにあるのだが、独特なのは次のように隣接しあう地名から一字ずつとったものだ。狩勝(石狩、十勝)、塩狩(天塩、石狩)、日勝(日高、十勝)など峠の名に多いが、石北、釧網、天北など鉄道、道路線名にも多く見られる。また、網走管内の清里町のように隣接する斜里町、小清水町からとったものもあって、由来を聞くとなるほどと納得する。
もっとも鉄道路線名について言えば北海道のみならず、東横(東京、横浜)、京王(東京、八王子)を始め首都圏にも数多く、道路や鉄道などが二点を結ぶという性格上、命名しやすく合理的で意味が解りやすいという特徴があるからだろう。朝鮮半島や中国にもこの例は有り、表意文字の漢字文化ならではの独特な表現法ではないだろうか。
さて、その峠だが北海道中央部には大雪を始め日高、天塩の大きな山塊が聳えどこへ行くにも峠越えを強いられる。1911(明治44)年札幌から北見まで鉄道が開通したときのルートは旭川、富良野、帯広、池田を経由したS字型の大迂回線だった。それも大雪、日高の山に阻まれてのことで石北峠に鉄道が開通するのは1932(昭和7)年まで待たねばならなかった。
厳しい地形と気象条件で過酷な工事が多く、北海道開拓は日本の富国強兵の近代史と共に有って、一握りの成功者の影で物言えず亡くなっていった多くの犠牲者の上に成り立っている。
ここ常紋トンネルもタコと呼ばれる劣悪な制度の中、牛馬以下の扱いで働かされた人たちの血と怨念の結晶だ。68年に僕が初めて訪れた頃は歩いてこのトンネルを何度も抜けたのだが、噂で何人もの人が死んだと聞き、真っ暗なトンネルの中は気味が悪かった。その後70年にはトンネル壁から人柱となった人骨が発見され、噂が実証された。周囲の谷に埋められた(というよりは捨てられた)人々は百数十人になるという。
人生を狂わされた人はいったい何人になるのだろう。 今"豊かに"なった日本の"近代化"の影の部分は公にはなんの検証も反省もされていない。この常紋ですらわずか90年前の出来事なのに。