モノクロームの残照

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石北本線・常紋

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カマの調子が悪いのか、荷が重すぎるのか、歩むような速度まで落ちてしまいブロワーを切りながら苦闘する574列車。後ろからの風にも煽られて本務機D51の姿も煙に包まれている。 金華〜常紋 1969年2月21日

生田原の朝

 硬い座席の上で眠れぬ一夜を過ごした札幌からの夜行列車「大雪6号」は5時前にに生田原に到着する。

暖房の効きすぎた車内から外に出ると夜明け前の寒気に身が引き締まり眠気など一瞬に吹き飛んでしまう。

気温はマイナス20度を下回っているかも知れない、

大きく息をすると鼻毛が凍って鼻の中にもう一つの骨格ができたようだ。

徐々に明けてくる東の空、列車が到着し、発車してゆく、

極寒の中で作業は続き、目の覚めるような朝陽が差し始めた。

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罐水を持ち、圧力を上げて発車準備を整え、対向列車を待つ急行「大雪6号」 70年2月22日

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山を下ってきた補機はターンテーブルで方向転換し、また仕事へと出てゆく 71年3月14日

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寒い! 69年3月4日                                                    ブレーキ分配弁が凍りつきスコップにとった石炭で暖める。DLだったらどうするのだろう? 71年3月14日

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生田原の町を抜けて常紋に向かう。駅の東側の斜面に登って撮影したもので、後補機9600の上方、雪原の向こう側に次写真に写っているサイロを見ることができる  71年3月14日

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重連貨物がやって来るとちょうどよいタイミングで朝陽が山の端から顔を出した 生田原〜常紋 72年3月18日

山間にこだます

  シャンシャンシャンとそれはまるで雪ぞりを引く馬が鳴らす鈴の音のようだった。

低音域が雪に吸収されてしまうのだろうか、

静まり返った谷間で列車を待っていると最初に聞こえてくるのはかすかな鈴の音。

やがてそれは確かな蒸機の息遣いになり、大音量で二つのカマが目の前を通りすぎて行く。

長声一声、トンネルに突入、絶気合図は隧道の中でだったか…

 再び静寂の世界。

陽光は差し暖かく見えるのだが、見かけよりはるかに寒い朝の山あい

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68年3月2日

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68年2月29日                                                                           68年3月2日

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68年3月2日

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68年2月29日

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68年3月2日

常紋信号場

 常紋信号所が開設されたのは1914(大正3)年10月、それほど古い話ではない。野付牛(現在の北見)からオホーツク海沿岸の湧別を結ぶ官営湧別軽便線の難所常紋トンネルの開通と同時だ。当初は軽便軌道762mmで建設されたが2年後には1067mmに改軌されている。

 常紋とは北見国の常呂郡と紋別郡の境にあるので双方の一字ずつをとって付けられた名前だ。 歴史の浅い北海道、地名を見ると面白い法則に気づく。元々この地で暮らしていたアイヌの人々の呼び方を漢字に当てはめた命名(札幌を始め列挙にいとまが無い)。入植した人たちの内地の故郷を採用した例(北広島、新十津川など)。この二つの例はアメリカ、オーストラリア等の北海道とよく似た生い立ちの植民国家にも同じようにあるのだが、独特なのは次のように隣接しあう地名から一字ずつとったものだ。狩勝(石狩、十勝)、塩狩(天塩、石狩)、日勝(日高、十勝)など峠の名に多いが、石北、釧網、天北など鉄道、道路線名にも多く見られる。また、網走管内の清里町のように隣接する斜里町、小清水町からとったものもあって、由来を聞くとなるほどと納得する。

 もっとも鉄道路線名について言えば北海道のみならず、東横(東京、横浜)、京王(東京、八王子)を始め首都圏にも数多く、道路や鉄道などが二点を結ぶという性格上、命名しやすく合理的で意味が解りやすいという特徴があるからだろう。朝鮮半島や中国にもこの例は有り、表意文字の漢字文化ならではの独特な表現法ではないだろうか。

 さて、その峠だが北海道中央部には大雪を始め日高、天塩の大きな山塊が聳えどこへ行くにも峠越えを強いられる。1911(明治44)年札幌から北見まで鉄道が開通したときのルートは旭川、富良野、帯広、池田を経由したS字型の大迂回線だった。それも大雪、日高の山に阻まれてのことで石北峠に鉄道が開通するのは1932(昭和7)年まで待たねばならなかった。

 厳しい地形と気象条件で過酷な工事が多く、北海道開拓は日本の富国強兵の近代史と共に有って、一握りの成功者の影で物言えず亡くなっていった多くの犠牲者の上に成り立っている。

 ここ常紋トンネルもタコと呼ばれる劣悪な制度の中、牛馬以下の扱いで働かされた人たちの血と怨念の結晶だ。68年に僕が初めて訪れた頃は歩いてこのトンネルを何度も抜けたのだが、噂で何人もの人が死んだと聞き、真っ暗なトンネルの中は気味が悪かった。その後70年にはトンネル壁から人柱となった人骨が発見され、噂が実証された。周囲の谷に埋められた(というよりは捨てられた)人々は百数十人になるという。

 人生を狂わされた人はいったい何人になるのだろう。  今"豊かに"なった日本の"近代化"の影の部分は公にはなんの検証も反省もされていない。この常紋ですらわずか90年前の出来事なのに。

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模型のレイアウトにしたくなるような構内 69年3月4日

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金華方から10時前にやってくる574列車は対向、追い抜き列車待避のためここで一時間半の停車。4名の乗務員たちは連れだって信号場内で早めの昼飯だ 71年3月13日

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生田原方、金華方から列車を押し上げてきた補機はそのまま峠を越えて下ってしまうこともあったが、ここ常紋で切り離されて単機回送となる場合も多かった 71年3月13日

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以上が「Jトレイン」Vol.05(2002年3月刊)に掲載したものです

以下7点追加します

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生田原を9時03分に出発して遠軽方面に向かう522列車。常紋信号場は右手後方の山の向こう側。こうして見ると、生田原の街は高い建物もなく木造の家だけが並んでいる 71年3月14日

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夕方、生田原に到着する532列車 70年2月25日

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生田原で後補機を連結する午後の貨物列車 71年3月14日

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9時49分、常紋信号場に進入する、9600+D51重連の574列車  69年2月19日

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574列車の前補機9600のキャブに掛かっていた運転時刻表。金華ー常紋が17分、生田原ー常紋が25分の運転時間だ  71年3月13日

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前掲写真の後、一時間半の待ち合わせを終えてカマに戻る乗務員たち  71年3月13日

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こちらは金華。生田原(20t)に比べてやや小振りの17tの給水塔  69年2月19日

 「J トレイン」に掲載した時には本文で「常紋トンネルの工事はわずか90年前の出来事」と書いたのだが、それから11年も経ち、今では100年ほど前の出来事になってしまった。来年2014年にはトンネルが完成して信号場が開設されてちょうど100年になる。

 

 人類の長い間の「歴史」には、「書かれた歴史」と「書かれなかった歴史」が有ると思う。多くの場合は支配者、権力者の都合の良い「歴史」が記録され、都合の悪い部分はそれがどんなに大きな出来事であろうとも隠蔽され、消し去られてしまう事が多い。

 例えば"最近"の例で言えば、朝鮮半島の「慰安婦問題」、沖縄の「住民虐殺問題」。ともに「軍の強制によるもの」という証言が多く有るのだが、その結果責任を負わなければならない組織は「強制の事実は確認できない」と抗弁し、なかなか認めようとはしない。

 それはそうだろう、軍隊に限らず、近代の支配組織は証拠を残すようなヘマはやらないものだ。業者を介在させたり、否応なく選択させたりと巧妙な手口を使い、本体は逃げ切ってしまうものだ。と言うよりは、それができなければ国民を支配する組織にはなれない、と考えているのだと思う。

 

 現代の身近な例で言えば「成田空港の検問」。憲法や刑事訴訟法でも"強制的"な検問は禁じられているので"任意"で行われている事になっているが、実際の運用は全くの強制で拒否することは絶対にできない。僕は何度か拒否して通過しようとしたが、それはそれはひどい目に遭っている。

 しかし、そのような実態は記録には残らず、後世の歴史家たちが「昭和20年以降、平成時代においては強制的な検問は無かった。なぜならば記録に残っている法規では禁止されていたからだ」という結論を導いても何ら不思議ではない。

 

 さて、北海道の近代史。道路、鉄道の開削、炭鉱での作業には多くの政治犯も含む囚人たちが投入され、消耗させられた。中には理不尽な徴用、使役が有ったはずだが、政府が率先し、利益を得た企業が詳しい調査をしたという話は聞かない。ましてや反省、謝罪のたぐいは聞いたことも無い。声を上げることもできずに抹殺された人々は「記録されなかった歴史」の中でもう一度、完全に消し去られるわけだ。

 

 先日、韓国のサッカーの試合で韓国サポータが「歴史から学ばない民族に将来は無い」という横断幕を掲げたそうだ。サッカー会場でやるのは問題があるかもしれないが、言わんとすることは、全くその通りだと思う。

 そして、できることならば「正史」だけでなく「書かれなかった歴史」からも学びたいものだ。むしろそちら側に本質的な問題が含まれているのではないだろうか。

 

 真っ暗な常紋トンネルを手探りで通ったことが何度かある。そのトンネル壁からも人骨が発見され、付近の沢からは今でも骨が出てくるという。

 「現場」を踏むと色々なことを想像することができる。あれもこれもと考えることは楽しいことなのだが、それは逆に、こちら側の想像する力、考える力、が試されているのかもしれない。

 

石北本線・常紋 ......完   2013年8月17日

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