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会津の二回目は「磐越西線」を訪ねます。
地図の上の方、青色でなぞった線がそうです。東北本線の郡山から 64.6Km、 会津若松で方向転換をして新潟県新津まで 111km、の175.6kmを走る線区です。

地図でご覧のように、只見川と阿賀川(会津では大川とも呼ばれます)が山都付近で合流し、新潟県に入ると「阿賀野川」と名前が変わって日本海に注いでいます。

磐越西線はこの阿賀川、阿賀野川沿いの狭い平地を走っているのでカーブ、橋梁、トンネルも多く「難儀な線」ですが逆にそれだけ景観もよく風光明媚な線区です。

 

今回訪れたのは「蔵とラーメン」で有名な喜多方の隣、こちらは蕎麦で有名な「山都・やまと」 と、「野沢」です。

 

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1963年12月22日 219レ
2016年4月17日 8233レ「ばんえつ物語」

野沢駅

上の写真は高校1年の冬休みに旅をしたときに撮影したものです。
東京から郡山を経て、磐越西線・中山宿というところで撮影し、隣駅の小さな集落にあった「商人宿」に生まれて初めての泊まりました。

 

その時の様子を「モノクロームの残照・大木 茂 Web Site」から引用します。
http://home.t01.itscom.net/ohki-ph/index.htm
http://ohkiphoto.jp/3rdLevel/Nakayamajuku.html

 

「中山宿」という駅名だったので「宿」はあるだろうと思ったのは子供ならではの浅薄さ。中山宿の駅員さんは「隣の岩代熱海に行けば温泉宿はたくさんあるが、高くて... 」と、 反対側の隣駅、上戸にある商人宿を教えてくれた。早速、鉄道電話で上戸駅に連絡して下さり、上戸の駅員さんが歩いて3,4分の「白河屋」に行き都合を聞いてくれた。
お陰で、日が暮れてから上戸駅に行き宿に着くと、おばあさんが待っていて、五右衛門風呂が湧いていて食事が用意されていた。 ふすまで仕切られた小さな部屋、廊下との仕切りは障子が一枚。寒いすきま風が入ってくるが、こたつに足を突っ込みどてらを着て寝れば快適な宿だった。
それまでの一人旅の宿はユースホステルだったので、初めての「旅館」体験、なにか急に大人になった気分だった。

 

 

その翌朝会津若松に行き、昼過ぎの列車に乗って新潟県の新津に向かいました。
その時に乗った列車を牽引していたのがこの「C57180」で、途中駅の野沢で対向列車を待っているときに撮影したものです。

 

この「C57180」は、その後1969年に廃車になり、新津の小学校に保存されていたのですが、なんと1999年に復活したのです。
現在、春から秋にかけての週末を中心に、会津若松~新潟間往復の「ばんえつ物語」号を牽引して活躍しています。
偶然ですが、その機関車を1963年12月に撮影していたのです。

 

これまた幸いなことに、現代の「ばんえつ物語」号は夕方16時半頃に野沢駅で機関車の点検のためでしょうか10分ほどの停車をします。
その間に乗客たちは機関車の近くで記念撮影、それぞれに汽車旅を楽しんでいます。

 

今回の撮影は、残念ながら現代の停車位置が10mぐらい手前に来ていたのでピッタリではありませんがほぼ同じ位置で撮れました。
同じ機関車を、時を経て、同じ場所で撮ることができた。 嬉しいことです。

 

実は、この機関車「C57180」は敗戦後の1946(昭和21)年に誕生しています。
蒸気機関車なんて古いもの、戦前かせめて戦中に製造されたものばかりとお思いかもしれませんが、敗戦後の旅客輸送増加に対処するために 1946年から49年までの間に旅客用機関車が229両も新製されていて、そのうちの一両なのです。

 

ぼくは1947年生まれですから一つ違い、最初に出会ったのはお互いに16歳と17歳のときだったわけです。若かった!
そして今回、52年半 振りに再会したのですが、ぼくは68歳、彼女は69歳です。初老ですね、いや、前期高齢者か、感慨無量!センチメンタルですね。

彼女はちょっと厚化粧の気もしますが… 美しい姿を保っていますね。 それに比べてこちらは… 
まぁ、彼女は30年ほど休眠していたわけだし、何はともあれ、お互い無事の再会を祝うことにしましょう。

 

 

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2016年4月17日 8233レ「ばんえつ物語」

野沢駅

柵で仕切られたところからですが、乗客たちは記念撮影ができます。
機関室横の銘板には「三菱 昭和21年」の刻印があります。

 

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1967年3月13日 226レ
2016年4月17日 8226レ「ばんえつ物語」

山都〜喜多方

こちらは、新潟から会津若松に向かう「ばんえつ物語」号を13時頃に山都で撮影したものです。
残念ながら、光線状態が良くなく、しかも煙に巻かれてしまいましたが、同じところで蒸機列車が撮影できたので載せてみました。

ご覧のように左手には立派な杉林ができていて、オリジナルポイントには入れませんでした。
上の写真を見ていただくとお分かりのように、画面中央を左右に延びる道路が県道でしたが、現在は橋が落とされて通行できません。
その代わりに画面手前に立派なバイパスができていました。

 

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2016年4月17日

山都〜喜多方

パノラマ画像で見ていただくと、こんなふうになっています。文明の進歩、発展なのでしょうかね。

 

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1967年3月13日
2016年4月17日

山都〜喜多方

同じ橋を、もう少し橋よりの場所から撮るとこうなります。ほぼ同じですがオリジナルポイントはもっと左です。
上の写真は、積雪のあった斜面をよじ登って撮ったと思います。
下は、今では有名な撮影地となり立派な道ができていて、展望台まであるところです。ここだけが見通しがきくようになっていて、「どうぞここから撮って下さい」と言わんばかり… ちょっと嫌だけど…
しかし、逆に考えれば、展望台を作り周辺の樹木を伐採していなければこの展望は得られなかったはず、ちょっと複雑な気分になってしまいます。

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2016年4月17日

山都〜喜多方

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1967年3月13日 225レ
2016年4月17日

山都〜喜多方

線路寄りの場所からも撮っていましたが、今ではこの場所へ行くのも無理、視界もありませんでした。

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1967年3月13日 222レ
2016年4月17日

山都〜喜多方

跨線橋など無かった時代、こうやってホームを渡って列車に乗っていたのですね。
蒸気機関車用の大きな給水タンクがあり、乗客数も多かった、鉄道黄金時代の最後のころでしょうか。

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1967年3月13日 222レ
2016年4月17日

山都

前と同じ列車の発車を後追いしたものです。
季節も違い、比べようもなく何とも言えませんが、雪の季節にもう一度撮らなきゃダメかな。

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1967年3月13日 223レ
2016年4月17日

山都

多くの職員がいて、乗客も多かった。

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1967年3月13日 223レ、224レ
2016年4月17日

山都

同じ画面に機関車が三両(右手前方にD51 がいます)、当時は当たり前でしたが今となっては贅沢な構図です。

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1967年3月13日 224レ
2016年4月17日

山都

前のシーンの列車進入を撮って、ホームを駆け抜けて発車を撮る。よくやりましたが、今では無理だろうな。

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1967年3月13日 912D
2016年4月17日

山都

「いついかなる時にも、線路横断は絶対にさせない」JRの固い決意のようなものを感じます。
各自が頃合いを見て判断することを全て放棄させられてしまって、果たして、これでいいのでしょうかね?

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1967年3月13日

山都

朝から晩までほぼ一日、山都駅周辺で撮影していました。いや、させていただきました。
夜、列車に乗って帰る前に撮影させていただいた駅員さんたちです。

よい時代だったと、今、つくづく思っています。

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