川越線は指扇と南古谷の間で荒川を、西川越と的場の間で入間川を越えています。飯能の奥、名栗から流れてきた入間川はこの後、川越市北部で荒川に合流します。
荒川は埼玉、山梨、長野の三県の県境が接する甲武信岳の東面に源を発して東京湾に注ぐ全長173kmの河川です。古来、暴れ川でもあり、特に中流域では河道が安定せず、現在の広大な河川敷にその名残を記していて、最大川幅が2.5kmに及ぶところもあるほどです。
この川越線の荒川橋梁も、河川敷内に築堤を造って橋梁部分を短くしていますが全長791mもあるのです。すぐ上流側(北側)にある国道16号線の上江橋(かみごうはし)の全長は1609.9mで一般国道で河川に架かる橋としては日本最長となっています。
前回の「川越線・1」の後半で見ていただいたように、この付近の河川敷の左岸(指扇側)には高校の運動場やゴルフ場、西遊馬(あすま)運動公園の野球場、サッカー場、テニスコート、そして農耕地などが拡がっていています。若い人たちの声が響き、一見伸びやかで平穏な光景なのですが、もしも嵐がやって来て洪水ともなればあたりは一転泥沼に変わってしまうのでしょう。
河川敷という境界領域としての宿命を背負って、危うさ、儚さを秘めながら、束の間のリクリエーションの場が拡がっています。それは、まるで、我らが社会そのものなのかもしれません。
さて、この晩はこの西遊馬公園の駐車場で車中泊をすることにしました。指扇駅近くの「すき屋」で牛丼の特盛り・¥580−を持ち帰り、コンビニで発泡酒2本を買って来ました。誰もいない、がら〜んとした駐車場に車を停めて夕食です。窓を半分開けると涼しい風が入ってきて気持ちよいのですが、暑くなり始めた季節柄、蚊も入ってきます。しかし、乾電池式電気蚊取りを付ければ大丈夫、いろいろと知恵は付いてきます。
時々、というよりはかなり頻繁に、鉄橋を渡る電車の音が真っ暗な河川敷に響き渡り、夜は更けていきました。
発泡酒2本では当然足らず、手持ちの酒を飲み、つまみを食べ、ほどよく酔って、寝ることにしました。
しかし、前回の最後に書いたように二回のパトカー訪問、職質があって睡眠不足になりました。
「境界領域」を舐めてはいけません、油断してはいけませんね、「魔物」が住んでいるのかもしれませんから。
今回は、南古谷から西側の区間をご覧いただきます。
南古谷から指扇方面に向かって、荒川の堤防に上ってくるところです。
下の写真は、踏切の脇で列車をやり過ごして後追いで撮影しました。オリジナルポイントはもっと先で、ここに見える架線柱の更に先だと思いますが、今ではそこに入っていくことはできません。
それでも、ほぼ同じ位置からの撮影で周辺の変化がお分かりだと思います。
こちらも前のカットとほぼ同じ位置、同じくオリジナルポイントよりかなり手前からの撮影です。
遠方にも人家が一軒も見えません、半世紀前はこうだったのですね。
場所は変わって西川越駅です。単線のすれ違いのできない駅でした。当時も駅員さんはいなかったかもしれません。
列車が入間川の堤防から下りてくるところです。下のカットは、邪魔物が多かったのでオリジナルポイントよりちょっと高い位置から撮っています。
西川越の駅を出て入間川の堤防に上って行く、高麗川行きの列車です。前のカットの頂上あたりから撮影したものです。
入間川橋梁です。上のカットで河原に拡がっているのは桑畑でしょうか?
的場駅の西側から西方、笠幡方面を見ています。かつては小高い台地があり、その上から撮影したと思うのですが、今では平地になっていました。野菜畑、桑畑が拡がっていたのですが…
前のカットから振り返って的場駅方面を見たものです。
踏切の位置は変わっていなさそうです。それにしても足場になった台地はどこに行ってしまったのでしょう?
手前にあるのは桑畑ですね、養蚕が盛んだったのでしょうか、今の光景からは想像もできません。
オリジナルポイントは下のカットあたりですが、周囲の様子はこのようになっています。
笠幡駅の西側、ほぼ同じ位置を見つけましたが、周囲には全く面影がありません。
南古谷に戻ります。
1966年6月18日は寝袋で南古谷の駅の待合室で泊めていただきました。翌朝にお礼のつもりで駅員さんたちの写真を撮らせていただきました。
一晩中、蛙の鳴き声が聞こえてきたように記憶しています。あたりに民家もあまりなく、田圃の中にぽつんとあった小さな駅でした。
今回、日進、指扇駅の有り様が大きく変わっていたので、ここ南古谷も同じように全く変わってしまっていると思っていたのですが、意外や意外、旧駅舎の一部がこのように残っていました。もちろん周辺は全く変わっているのですが、想い出の場所がキッチリと残っていて、それはそれは、嬉しいことでした。
大宮行きの一両編成の列車が到着します。ちょっとお洒落をして気取ったお兄ちゃんはどこへ行くのでしょうか?
キハ35の行き先表示が「東飯能」になっていますが、これは変ですね。大宮行きに違いないのですが、間違えて乗る人もいないだろうし、この程度は問題なし、だったのでしょう。
高麗川方面から大宮行き貨物列車が到着しました。機関助士は駅長さんにタブレットを渡しています。
前のカットと同じ列車です。広々と何も無い、が有ります。
対向の列車が到着して、発車していきます。ホームの位置、線路配置が大きく変わってしまいましたがこのあたりのはずです。 …と言うのも次のカットを見て下さい。
複線化されたのかと思うような配置ですが、ここ南古谷はすぐ隣に大きな車両基地ができて、そこへの連絡線路も含めて線路配置が変わってしまいました。周囲を見ると同じ踏切とは思えませんが、間違いなくこの場所なのです。
大宮側に200mほど行った地点です。手前の線路が車両基地に入るものです。
17:51 一日一往復の貴重な客車列車が入ってきます。白シャツの駅員さんが指扇からのタブレットを受け取り、後ろの駅長さんが川越方面のタブレットを差し出しています。
現代では20分おきに10両編成の電車がやって来ますが、乗客は絶えません、ご同慶の至りですね。
この駅からの乗客は一人もいなかったのですが、大宮方面から来た客はたくさんいたようです。遮るものもなく、駅前から家路に帰る人々の姿がよく見えました。
これで今回の川越線は終了しますが、まだ少し撮り残したところがあります。近場ですからそのうちにもう一度行ってこようと思っています。追加修正をお待ち下さい。