「旅は僕の学校だった」という文章を以前ある雑誌に書いたことがあるのだが、本当にそうだったなあと今でも思うことがある。
高校は大学受験では有名な進学校に入ったのだが、どうもなじめなかった。こちらが勉強もできない劣等生だったことが大きな原因だったのだろうが、多くの級友たちにも教師にも違和感を抱き続けていた。授業をさぼり撮影に行くことばかり考えていた高校生活だったが、そうして出かけた旅先で教えてもらったことは実に多かった。
生意気盛りの青春時代(今もそうだと言うのは誰だ!)、世の中のことは大体分かってしまった、と思っていたのだが、分かったつもりは都市の中産階級のごく狭い世界だけ、地方に行けば全く違う生き方があることを実感として教えられたのは旅をしたお陰だと今でも思っている。挨拶のしかたから始まって見知らぬ人との接し方、家や学校では習わなかったことを随分たくさん教えていただいた。
中山宿では最初に訪ねたときに、「宿はないか」と聞くと、「ここにはないが、隣の上戸にはある」と教えられ、一泊450円のおばあさんがやっている商人宿に泊まった。二度目の時も上戸の宿に泊まろうと思っていたのだが、駅舎の休憩室が空いているから泊まっていきなさいと言っていただき、ご厚意に甘えることになった。駅構内での撮影でも列車を待っている間は信号扱い所にお世話になり休んでいた。秋に行った時には食用菊を大量に出されて、酒も飲まない高校生は独特の味覚に困ってしまったが、何かと世話を焼いていただき親切にしていただいた。僕の方もできる限りのことをしたつもりだが、当然、今考えれば十分ではなかったはずだ。
時はSLブームとやらの前の話、汽車を撮っていても「こんなもの撮ってどうするのだ?」と言われたころ。わけの分からなかった子供は良い大人たちに出会い、今も相変わらず旅を続けている。 たくさんの良い出会いに感謝するほかはない。
上戸の駅員さん。
「中山宿」という駅名だったので「宿」はあるだろうと思ったのは子供ならではの浅薄さ。中山宿の駅員さんは「隣の岩代熱海に行けば温泉宿はたくさんあるが、高くて... 」と、
反対側の隣駅、上戸にある商人宿を教えてくれた。早速、鉄道電話で上戸駅に連絡して駅員さんが歩いて3,4分の「白河屋」に行き都合を聞いてくれた。
お陰で、日が暮れてから上戸駅に行き宿に着くと、おばあさんが待っていて、五右衛門風呂が湧いていて食事が用意されていた。
ふすまで仕切られた小さな部屋、廊下との仕切りは障子が一枚。寒いすきま風が入ってくるが、こたつに足を突っ込みどてらを着て寝れば快適な宿だった。
それまでの一人旅の宿はユースホステルだったので、初めての「旅館」体験、なにか急に大人になった気分だった。
翌朝はうっすらと雪が積もり一面の銀世界、急いで駅に行き撮影させていただく。昨日お世話になった駅員さんの記念撮影もさせていただいた。
補機の回送も有り、運転扱いは比較的忙しい駅だと思う。駅長さん、運輸係、旅客係、小荷物係の4人体制で勤務していたようだ。もちろん今は無人駅となっている
上戸 63年12月22日
最初の汽車旅、中山宿に行ってから、もう50年が経ってしまった。本文にも書いたが当時は上野から急行を乗り継いで5,6時間の旅だったが、今では新幹線乗り継ぎで1時間50分ほどで到達できるようになった。それは“文明の進歩”なのだろうが“旅文化”としてはどうなのだろう?仕事で”移動”するには便利この上ないのだが、“旅”は移動とは異なり目的地に着くまでの過程こそが大切なのではと思う。いや、しかし、“旅”そのものが大きく変わってきてしまっているのも事実だ。
ぼくは汽車旅を、撮影を、楽しむ時に大切な要素は「窓が開くこと」「自由に駅構内に立ち入れること」の二点ではないかと思っている。まぁ後者は撮影にとっては重要なことだが、汽車旅ではあまり関係がないかもしれないが、「窓が開くこと」はとても大切なことではないだろうか。カメラを外に出し自由に撮影できるだけではなく、吹き込んでくる風や匂いを感じることは、エアコンの効いた快適な車内から窓で切り取られた風景を眺めているより、何十倍か情報が詰まっていて、精神的に遙かに健康的ではないだろうか。
もちろん旅をする動機によってそれぞれ違うのだろうが、ぼくの旅のかたちはこの50年間あまり変わらないので、だんだん旅がしづらくなってきた。
今から50年後、21世紀後半に次のような文章が現れてきたとしても驚くことはないのかもしれない。
『最近、20世紀の鉄道記事を見つけて驚いた。当時は“旅“なる言葉、概念があったようだ。目的よりも過程を大切にする文化とか言っているのだが理解が出来ない。今、我々が使っている“トランスポート”という言葉に近いもののようだが、内容は大分異なっている。車
両には窓なるものが有って、外を眺めたり、中にはその窓が開き体を出すことが出来たと言う。そんなことをしたらば、落ち着いて座っていられないし、映像ディバイスが見られなく
なってしまい、食事も満足にとれやしない、車内は大混乱になるのではないかと思うのだが、そうではなかったようだ。
今は目的地にいかに速く到達するかが問題で、移動中の車内は快適に過ごせることが第一、窓を通して外を見ようとする人はいない。見たければ3Dで撮影した最高条件の映像がいくらでもあるし、凡庸な風景など見る人はいないはずだ。目的地に早く到着して、そこでの時間を楽しむのが大切なのだから、途中がどうというのは問題外だ、“旅”なる概念は何ともふしぎな発想である。』
いや、これは冗談ではないだろう。今でも新幹線に乗ってご覧なさい、窓外を眺めている人の少ないことに気付くはずだ。
最高速度も110km、210km、300km...... 今度のリニアでは500km/hだとか。そう航空機ですね。そういえば、最近飛行機に乗っていて困るのは、窓のシェードを下ろさせられることだ。地上の景色が見えるときはもちろん、見えなくても雲の動きをボーッと見ていたいのだが、「お客様、他の方々の映画鑑賞に影響しますのでシェードをお閉め下さい」と言われてしまう。かくして機内は昼間だというのに真っ暗け、他にやることがないのでついつい酒量が増えてしまう、困ったもんだ。多分、鉄道旅も近い将来そうなるにちがいない。
かつて旅をするのに列車の選択肢が多様に有った。特急、急行、準急、各停。長距離列車、夜行も数多く走っていて、その数だけ汽車旅の楽しさがあったと思う。今は新幹線と短距離の各停列車だけが幅を利かせて、夜行列車など風前の灯火だ。
もちろん、50年後に生きていて確かめることは出来ないのだが、この50年で経験した汽車旅の変化を考えると、あながち見当外れではないと思う。
進歩とは一体何なのだろう。
磐越西線・中山宿 ......完 2014年5月1日