鹿児島"本線"とは言え熊本以南は単線区間が連続し、優等列車の本数は多いが穏やかで伸び伸びとした風景が続き、のんびりとしたローカル線のような雰囲気だった。
ぼくが訪れた時にはもう『はやぶさ』をはじめとする特急寝台はもちろん、急行列車など定期の優等列車はほとんどDD51の牽引になっていた。貨物列車は全てD51でとりわけ魅力はなかったが、各停列車の牽引にC60、C61などの大型蒸機が活躍していたのは嬉しかった。
同じように60、61が活躍していた東北北部と比べてこちらのカマは改造も少なく原形を保ち、手入れが行き届いていて美しい姿をしていたことも大きな魅力だった。また、なぜか九州では一年中火の粉止めを装着しないことも嬉しいこと、砲金製の区名票といい何かこだわりでもあるかのようで、頑固さと潔さに心地の良い気分を感じたものだ、
東北北部と比べ、連続する峠越えこそ無かったが海辺を走る風景はこちらならではのもの、不知火海から東シナ海へ、大海原が続き明るい南国の大風景が拡がっていた。
「海線」と呼ばれていたが峠越えも何カ所かあった。それほど長い区間ではないのだが輸送のネックにはなっていた。
複雑な地形は美しい風景を生み出してくれるのだが、鉄道にとっては大敵だ。美しい車窓風景を眺めてみたいが到達時間も短くして欲しい、両立は難しく要求が矛盾してしまう。しかし、現代生活では、車窓よりも時間が優先してしまうのだろう、この区間も内陸に掘ったトンネルであっさりと抜ける方法を採用して、来春から到達時間半減を看板にした『新幹線』とやらに取って代わるらしい。(この原稿は2003年夏の時点で書いたものです)
考えてみれば、八代〜鹿児島間は八代から球磨川をさかのぼり、人吉から矢岳の山越えをして鹿児島に到達した『山線』が鉄道の始まり。その勾配区間克服の新線がこの『海線』だったわけで、時代の要求と条件に応じた選択がなされてきたわけだ。今度は第三の選択だということなのだろうが何か引っかかるものも感じてしまう。
美しい風景やゆっくりと流れる時間を楽しむことを忘れて、我々の生活は一体どこに向かって走っていくのだろうか。